大船ゲーセン跡地めぐり(5)
・ゲームコーナー編(2)
次にニチイ。ここはオレが来始めた頃(1991頃)は地下と5Fの両方にゲームコーナーがあった。地下が微妙に古い(2~3年前のゲームが多かった)ビデオゲーム中心で、やや広い。5Fはこぢんまりしたスペースの中にメダルゲームとビデオゲーム数台とバーチャレーシングその他。
プレイ料金は、地下のレトロ(駄菓子屋筐体にインベーダーとか1942とか入ってた)が30円(だったと思う)で、他は100円。5Fのビデオゲームは100円2プレイ(だったと思う)。『ストII』にハマり始めた頃、ここの5Fが空いてた(人が少ない上に4台ぐらい置いてあった)ので、ここでいつもCPU戦をやっていて、初めてクリアしたのもここだったと思う。なにげにアーケードゲーム初ALLだった。
『ストII』では、オレは初めの頃は春麗を使っていた(ベーマガに載っていた春麗の「中パンチハメ」中心の攻略法を参考にしていた)が、後にリュウ、ケンその他を使い始めた頃、ニチイの5Fで必殺技を出す練習をしていた思い出もある。まあ「必殺技」と言っても殆んど昇龍拳と立ちスクリューの練習しかしてなかったような気もするけど、例えば昇龍拳の練習の場合、先ずリュウ(ケン)でCPU戦のプレイを始め、負けそうになると2P側で乱入。2Pはケン(リュウ)を選択して、リュウ、ケン対決にする。で、1P、2Pのどちらかを動かして、ラウンド開始からずっと昇龍拳を出す練習をしまくる。「歩きながら波動拳」とかいう昇龍拳出すコツを念じながら・・・
昇龍拳を当てなければ体力が減らないわけで、ドローになる。それを延々とFINAL ROUNDまでやる。時々失敗して波動拳が出ちゃったりしてもう一方のプレイヤーにHITした場合は、もう一方のプレイヤーを操作して波動拳を当て返し、ドローを狙ったりしてた。『ストII』は10ラウンドあったから、今思うとこういうのは割と迷惑行為だったかもしれない。
地下のゲームコーナーは、いつもスキンヘッドじじいと、その奥さん(?)が店番をしていた。M君と2人でここに来ていた時、ボンタン(死語)とか穿いてる不良数名に絡まれてカツアゲされそうになったところに、スキンヘッドじじいが駆けつけて「何やってんだお前ら!」みたいに怒鳴り散らして追い払ってくれたことがあった。あの時のスキンヘッドじじいはカッコよかった。マジ輝いてた。
『ストIIダッシュ』が出た後ぐらいに5Fのゲームコーナーはなくなり、それから暫く後に、地下のゲームコーナーが5Fに移転した(1993頃?)。5Fに移転と言っても、前にゲームコーナーがあった場所に移転したのではなく、別の広いスペース(地下よりも広い)への移転。ゲームも大幅に増えてイイ感じになった。
そのうちの半分ぐらいがビデオゲームコーナー。ヘッドホン端子付きのカプコン筐体が壁際に並んでるのが特徴的だった。個人的思い出は、『パズルボブル』をやり込んだり、『がろスペ』で215万(現時点での自己ベ)出したり、『メタルブラック』をALLしたり『スケ番雀士竜子』をALLしたり。
大型筐体も色々置いてあったものの、興味ないから殆んど憶えてない。初代『ストリートファイター』の圧力センサー筐体を6ボタンに改造して『ストII』が入れてあって、何故か4方向レバーだったりしたのと、あとは、『ナイトストライカー』が長期稼働(ゲームコーナーがなくなるまで稼働してたぽ。大船では当初【ニューヨーク】でも稼働していたが、撤去されるのが早かった)していたことは憶えてる。
毎度のことながら、はっきり憶えてない自分にガッカリしつつも、ニチイが改装された時(1996頃?)にゲームコーナーもなくなったような気がする。その後ニチイが閉店したり色々あったりして、現在はヤマダ電機その他になりましたとさ。めでたしめでたし。

(2010年8月7日現在の【ニチイ】跡地)
てゆーか、実は今、4Fにゲームコーナーがあったりなんかしちゃったりして。

以下、この記事の趣旨からは外れるけど、現在の4Fの様子。さりげなくレアな物が色々置いてあってヤバイ。







(すべて2010年8月7日撮影)
・その6
・その4
次にニチイ。ここはオレが来始めた頃(1991頃)は地下と5Fの両方にゲームコーナーがあった。地下が微妙に古い(2~3年前のゲームが多かった)ビデオゲーム中心で、やや広い。5Fはこぢんまりしたスペースの中にメダルゲームとビデオゲーム数台とバーチャレーシングその他。
プレイ料金は、地下のレトロ(駄菓子屋筐体にインベーダーとか1942とか入ってた)が30円(だったと思う)で、他は100円。5Fのビデオゲームは100円2プレイ(だったと思う)。『ストII』にハマり始めた頃、ここの5Fが空いてた(人が少ない上に4台ぐらい置いてあった)ので、ここでいつもCPU戦をやっていて、初めてクリアしたのもここだったと思う。なにげにアーケードゲーム初ALLだった。
『ストII』では、オレは初めの頃は春麗を使っていた(ベーマガに載っていた春麗の「中パンチハメ」中心の攻略法を参考にしていた)が、後にリュウ、ケンその他を使い始めた頃、ニチイの5Fで必殺技を出す練習をしていた思い出もある。まあ「必殺技」と言っても殆んど昇龍拳と立ちスクリューの練習しかしてなかったような気もするけど、例えば昇龍拳の練習の場合、先ずリュウ(ケン)でCPU戦のプレイを始め、負けそうになると2P側で乱入。2Pはケン(リュウ)を選択して、リュウ、ケン対決にする。で、1P、2Pのどちらかを動かして、ラウンド開始からずっと昇龍拳を出す練習をしまくる。「歩きながら波動拳」とかいう昇龍拳出すコツを念じながら・・・
昇龍拳を当てなければ体力が減らないわけで、ドローになる。それを延々とFINAL ROUNDまでやる。時々失敗して波動拳が出ちゃったりしてもう一方のプレイヤーにHITした場合は、もう一方のプレイヤーを操作して波動拳を当て返し、ドローを狙ったりしてた。『ストII』は10ラウンドあったから、今思うとこういうのは割と迷惑行為だったかもしれない。
地下のゲームコーナーは、いつもスキンヘッドじじいと、その奥さん(?)が店番をしていた。M君と2人でここに来ていた時、ボンタン(死語)とか穿いてる不良数名に絡まれてカツアゲされそうになったところに、スキンヘッドじじいが駆けつけて「何やってんだお前ら!」みたいに怒鳴り散らして追い払ってくれたことがあった。あの時のスキンヘッドじじいはカッコよかった。マジ輝いてた。
『ストIIダッシュ』が出た後ぐらいに5Fのゲームコーナーはなくなり、それから暫く後に、地下のゲームコーナーが5Fに移転した(1993頃?)。5Fに移転と言っても、前にゲームコーナーがあった場所に移転したのではなく、別の広いスペース(地下よりも広い)への移転。ゲームも大幅に増えてイイ感じになった。
そのうちの半分ぐらいがビデオゲームコーナー。ヘッドホン端子付きのカプコン筐体が壁際に並んでるのが特徴的だった。個人的思い出は、『パズルボブル』をやり込んだり、『がろスペ』で215万(現時点での自己ベ)出したり、『メタルブラック』をALLしたり『スケ番雀士竜子』をALLしたり。
大型筐体も色々置いてあったものの、興味ないから殆んど憶えてない。初代『ストリートファイター』の圧力センサー筐体を6ボタンに改造して『ストII』が入れてあって、何故か4方向レバーだったりしたのと、あとは、『ナイトストライカー』が長期稼働(ゲームコーナーがなくなるまで稼働してたぽ。大船では当初【ニューヨーク】でも稼働していたが、撤去されるのが早かった)していたことは憶えてる。
毎度のことながら、はっきり憶えてない自分にガッカリしつつも、ニチイが改装された時(1996頃?)にゲームコーナーもなくなったような気がする。その後ニチイが閉店したり色々あったりして、現在はヤマダ電機その他になりましたとさ。めでたしめでたし。

(2010年8月7日現在の【ニチイ】跡地)
てゆーか、実は今、4Fにゲームコーナーがあったりなんかしちゃったりして。

以下、この記事の趣旨からは外れるけど、現在の4Fの様子。さりげなくレアな物が色々置いてあってヤバイ。







(すべて2010年8月7日撮影)
・その6
・その4
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