大船ゲーセン跡地めぐり(1)
・【ラッキー】跡地編
かつて神奈川有数のゲーセン繁栄街だった大船も、昨年の【パワースティック】閉店により、現存するゲーセンは【ホームラン】と【PIA】2店のみとなり、見る影もなくなってしまった。1990年前後から大船のゲーセンに通い続けているオレとしては、寂しい限り。そこで、唐突ではあるが、個人的な思い出とともに大船のゲーセン事情を振り返ってみる。なお、1996~1998年頃は殆んど大船のゲーセン(と言うか場所を問わずゲーセンすべて)に行ってなかったので記憶が曖昧であることをご了承下さい。
さて、最初に紹介するのは【ラッキー】。50円ゲーセンの中で駅から最も近いということで、大船のゲーセンに通い始めた頃によく行っていた。フロアは狭いものの2階建で、ビデオゲームだけが所狭しと並んでいた。いつも店長(?)のおじさんが店内業務をしていて、バイト店員等はあまり見かけなかった気がする。1階の壁際には脱衣麻雀コーナーがあって、オレの脱衣麻雀初プレイが、ここでの『トリプルウォーズ2』だった気がする。また、店頭にはUFOキャッチャーが1台置いてあり、そのBGMがいつも目立っていたので、未だに耳に残っている。
『ファイナルファイト』目当てでゲーセンに来たオレは、最初は2Fフロア中央あたりに置いてあったテーブル筐体の『ファイナルファイト』ばかりやってた。やがてその左後方に 『ストII』が入って凄い人だかりが出来たり、後にオレも『ストII』をやるようになってから、1Fに「対戦台」が設置されたりした。なんだかんだで、オレがここで1番プレイしたのは『ストII』シリーズ(IIとダッシュ)なはず。
最も印象深いのは、やはり「対戦台」が設置された時の出来事。なにしろ、その設置作業を見てたわけで。あの時は2Fでゲームしてたんだけど、後から来たM君に「1Fで何かやってる」みたいなことを言われ、1Fの様子を見に行くと、ゲームの配置が大幅に変更されてた。フロアの中央に電源の入っていない筐体が2台背中合わせに置いてあり、両方とも『ストII』のインスト付き。M君と「え?両方とも『ストII』?新しいゲーム入れるんじゃないの?」などと言い合いながら作業を見守っているうちに、次第に全容が明らかになっていった。
どうやら1つの基板で筐体を2台使うということらしい。作業が終了し、ある客が1P側でプレイを始めた。他の客は最初は遠慮がちに様子を見ていたが、そのうち誰かが乱入。それ以降は乱入、乱入の連続。なるほど、これは赤の他人同士が対戦するための筐体の配置なのか。当時は、大会でもない限り赤の他人同士が対戦するなど想像もできなかったので、この「対戦台」の登場は衝撃的だった。
対戦は負けるとすぐに終わる=お金が勿体ないという理由で、オレはすぐには対戦にハマらなかったものの、「対戦台」が入った日から対戦にハマり初めたM君の影響で、徐々に対戦にハマっていった。パターン化のできるCPU戦と違い、対人戦、特に大勢の赤の他人との対戦は飽きないのだということを思い知った。
『ストIIダッシュ』の頃には対戦台が3~4セット設置され、その後暫く【ラッキー】は、大船で対戦格ゲーが最も盛り上がってるゲーセンの1つ(英文的表現)だった。しかしながら、格ゲーバブルが崩壊し、プリクラが流行り始めると、1階がプリクラコーナーになって入りづらいフインキ(変換できない)になってしまった。丁度その頃からオレはゲーセン自体にあまり行かなくなり、気が付いたらいつの間にか(1997年頃?)【ラッキー】は閉店していた。
『ストII』シリーズ以外では、『デスブレイド』でレバガチャしすぎて手の皮がむけたのが思い出深い。手の平の皮がむけていたことから察するに、現在とはレバーの持ち方が違っていたようだが、詳しくは憶えていない。

(2010年8月7日現在の【ラッキー】跡地)
・その2
かつて神奈川有数のゲーセン繁栄街だった大船も、昨年の【パワースティック】閉店により、現存するゲーセンは【ホームラン】と【PIA】2店のみとなり、見る影もなくなってしまった。1990年前後から大船のゲーセンに通い続けているオレとしては、寂しい限り。そこで、唐突ではあるが、個人的な思い出とともに大船のゲーセン事情を振り返ってみる。なお、1996~1998年頃は殆んど大船のゲーセン(と言うか場所を問わずゲーセンすべて)に行ってなかったので記憶が曖昧であることをご了承下さい。
さて、最初に紹介するのは【ラッキー】。50円ゲーセンの中で駅から最も近いということで、大船のゲーセンに通い始めた頃によく行っていた。フロアは狭いものの2階建で、ビデオゲームだけが所狭しと並んでいた。いつも店長(?)のおじさんが店内業務をしていて、バイト店員等はあまり見かけなかった気がする。1階の壁際には脱衣麻雀コーナーがあって、オレの脱衣麻雀初プレイが、ここでの『トリプルウォーズ2』だった気がする。また、店頭にはUFOキャッチャーが1台置いてあり、そのBGMがいつも目立っていたので、未だに耳に残っている。
『ファイナルファイト』目当てでゲーセンに来たオレは、最初は2Fフロア中央あたりに置いてあったテーブル筐体の『ファイナルファイト』ばかりやってた。やがてその左後方に 『ストII』が入って凄い人だかりが出来たり、後にオレも『ストII』をやるようになってから、1Fに「対戦台」が設置されたりした。なんだかんだで、オレがここで1番プレイしたのは『ストII』シリーズ(IIとダッシュ)なはず。
最も印象深いのは、やはり「対戦台」が設置された時の出来事。なにしろ、その設置作業を見てたわけで。あの時は2Fでゲームしてたんだけど、後から来たM君に「1Fで何かやってる」みたいなことを言われ、1Fの様子を見に行くと、ゲームの配置が大幅に変更されてた。フロアの中央に電源の入っていない筐体が2台背中合わせに置いてあり、両方とも『ストII』のインスト付き。M君と「え?両方とも『ストII』?新しいゲーム入れるんじゃないの?」などと言い合いながら作業を見守っているうちに、次第に全容が明らかになっていった。
どうやら1つの基板で筐体を2台使うということらしい。作業が終了し、ある客が1P側でプレイを始めた。他の客は最初は遠慮がちに様子を見ていたが、そのうち誰かが乱入。それ以降は乱入、乱入の連続。なるほど、これは赤の他人同士が対戦するための筐体の配置なのか。当時は、大会でもない限り赤の他人同士が対戦するなど想像もできなかったので、この「対戦台」の登場は衝撃的だった。
対戦は負けるとすぐに終わる=お金が勿体ないという理由で、オレはすぐには対戦にハマらなかったものの、「対戦台」が入った日から対戦にハマり初めたM君の影響で、徐々に対戦にハマっていった。パターン化のできるCPU戦と違い、対人戦、特に大勢の赤の他人との対戦は飽きないのだということを思い知った。
『ストIIダッシュ』の頃には対戦台が3~4セット設置され、その後暫く【ラッキー】は、大船で対戦格ゲーが最も盛り上がってるゲーセンの1つ(英文的表現)だった。しかしながら、格ゲーバブルが崩壊し、プリクラが流行り始めると、1階がプリクラコーナーになって入りづらいフインキ(変換できない)になってしまった。丁度その頃からオレはゲーセン自体にあまり行かなくなり、気が付いたらいつの間にか(1997年頃?)【ラッキー】は閉店していた。
『ストII』シリーズ以外では、『デスブレイド』でレバガチャしすぎて手の皮がむけたのが思い出深い。手の平の皮がむけていたことから察するに、現在とはレバーの持ち方が違っていたようだが、詳しくは憶えていない。

(2010年8月7日現在の【ラッキー】跡地)
・その2
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